スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悪口と論理性

2015.05.28 02:08|雑記
私は元来かなり口が悪い方で、もちろん然るべき場で慎むことは出来るけれど、自然に喋っていると付き合いの浅い人にはびっくりされることがある。
別に四方八方に罵詈雑言をまき散らしたいわけではなく(そういう時期もあったけど)、ただ日々感じる不満とか違和感とかを誤謬を最小限に抑えて第三者に伝わるように表現を工夫していると、どうしても批判的な口調になってしまうし、そこに自分がどれくらいの熱量でその考えを持っているかを加えると辛辣さや冷淡さが強烈に滲んでしまう。
例えば、「クソ」という言葉を使うときには二種類ある。
一つは本当に感覚的なレベルで直情として「クソだな」と思ったとき。これはもう条件反射だから仕方ないと思う(発言するかどうかは理性で判断するけど)。もう一つは本気の嫌悪を表現したくて「それ本当に嫌い」とかではなく、あえて「クソ」と表現するとき。これは別にこんな汚い言葉じゃなくてもいいんだけど、相手に嫌度合いを伝える為にわざとインパクトのある言葉を使う。しかもその前後をかなりロジカルに説明する。「これってこの場合においてこの立場の人間にはこう受容されるじゃないですか。この理由からそれってホントにクソですよね」みたいな。
後者に関してはかなり多くの場面で何の用も為さない論法なんじゃないかってことはこの数年でやっと気付いた。
考えや思考の順序だけを数式のように正確に伝えたいなら感情が入ってはいけないし、逆に気持ちを分かって欲しいならロジカルになり過ぎるのは良くない。
というか、この論法は論理的に破綻してるわけじゃないんだろうけど、それ故に相手の反論を許さないところがある。
批判的に言えば、事実の列挙としても感情論としても中途半端で、議論の意義とかを全く無視して自分が言いたいことを表現する効率だけを優先して喋ってるだけ。だから反論の仕様が無いし、相手をもの凄く不愉快にする。と書きながら、ポジティブな意見の場合だったらどうなるんだろうと思ったけど、まぁいいや。
とにかく、のべつくまなく敵を作りまくる。
相手をとにかく痛めつけたくて、グウの音も出せないくらい全否定したいときは使えるんだろうけど、相手の神経を逆撫でしてまでそんなことしたい場面ってそんなに無い。しかもこれは基本的に相手より自分の知識量とか喋り方のテクニックが勝ってるときにしか使えない。
だから無駄に敵対感情をまき散らすのは止めよう!って思って割と何でも穏やかに喋るようになったんだけど(当社比)、大学院に通っているうちこの考えも更に揺らいできた。
多分、大学という場自体(学校組織とか研究機関)がどこもそうなんだろうけど、まぁ本当に事実論と感情論をごちゃ混ぜにして喋る人が多い。それも議論の場で。「何でその事実を伝える為にそんな感情寄った批判的な表現をするんですか?」って具合に。ここで言う表現っていうのは単に言葉選びのことだけじゃなく、発言行為としてってこと。細かい例を挙げると、一回鼻で笑ってから発言するとか、そういうの。
自分がイライラしてるからそれを発散させたいのか、自分が軽んじられてきたトラウマでもあって報復行為の一環でそうするのか、そういう態度が他人に舐められない為のテクニックだと思っているのか、ただ失礼な行為だと知らないだけなのか、それは分からない。とにかく、どういう腹づもりでそうしているのであれ、その論法を言葉にして説明すると冒頭で言ったような、かつて私が多様していたやり方にかなり似ると思う。自分が他人に(そうだという自覚無しに)そういう話し方をしていたのだと思うと、吐き気がする(これは直情としての言葉)。
私は議論の場でそんな喋り方は絶対にしないし、建設的じゃないことは言わない(知識とか技量の不足で論点を間違えるときはあるけど)。だから正確には例の論法が攻撃手段以外には役に立たない、ただ人を不快にさせる為だけのものだって考えは揺らいでないんだけど、日々そういう「議論」の場に晒される中で、「世の中の議論ってこういうものなのか?」って気になることがある。こうやって整理して文章にすると「いやいや、やっぱりおかしいよな」って思うんだけど、実際は学術とか仕事って意義や効率だけで成り立っていないし、「いかに相手より優位に立っているように見せるか」を競う場面もある。というか、そういう場面の方が多いと思う(絶対におかしいけど)。その上で、有効な手段はガンガン行使していかなきゃいけないんじゃないかみたいな、そういうところで揺れる。
今は狭い世界の内輪でしか生きてないからまだいいんだけど、この先上下左右が全く見渡せない世界で生きていくときに、どれくらい自分が思う価値と現実的な(些末な)価値観とのギャップを埋めて生きていけるんだろうとか思う。
この前深夜に歌のオーディション番組観てたときもそれを感じた。まぁ歌は学術研究や企画書と違って論理的に分析出来ない部分が大きいだろうから、どうしても論理と感情の境界が曖昧になりがちだと思うけど、それにしたって審査員が参加者に対して凄く私的なコンプレックスをぶつけているように見えて嫌だった。もちろん、本当に下手だったり自分に酔ってておかしな態度だったりする参加者は居たし、感情をぶつけるならぶつけるでいいんだけど、審査員という立場を利用して、あたかもその私的な感情が客観的な妥当性を持っているかのように言う感じ。あれは私が日常目にする人たちにかなり似ている。で、これは私見だからそれこそ何の客観性もなく私個人が感じたことなんだけど、そんな小汚い外見の人間が他人のセンスをどうこう言うのかとも思った。
こういうことを考えていると、いよいよ他人との会話で論理性と感情をどのくらいのバランスで表現したらいいんだろう(場合によるだろうけど)という思いで途方にくれる。私のネット上でのキャラが定まらない(もしかしたらリアルでもそう思われてるかもしれない)のはそのせいだ。
今はあんまり他人を気にせずに文章の流れだけを意識して書いてるけど、こういうのはTwitter向きじゃないと思うし、小説にもそのままの形では使えない(論文に使えないのは言うまでもない)から、ブログに書いてみた。
そもそもこのブログはどういう人がどれくらい読んでるんだろう? 記事を更新してないわりにはアクセス数が微妙に増えているので、少しは人目に触れてるんだろうな。
Twitterからの人が多いのか、文フリからの人が多いのか。サークル名もペンネームも目立たないから(泉水沙耶って名前は結構検索にしくいって最近気付いた)、ネットサーフィンで辿り着く人はそんなにいない気がする。
最近は記事にすることが全然浮かばなかったし、今後はこういうダラダラした雑記もここに書こうかなと思います。
なんか批判的な内容が多くなりそうだったから別にブログ作ろうかなと思ったけど、私のキャラが定まってないだろうからもういいやってなった。
キャラ作ってるというより不特定多数の人の目に触れることを意識してただけなんだけど。
そんなこんなで更新頻度増やせるといいな~。
スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

| 2017.08 |
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

いずみさや

Author:いずみさや
東京在住
漫画原作・小説等を制作
お問い合わせはlied.von.sayaあっとgmail.comまで
twitter:@saya_works
Author画像は自画像ではなくサークルのイメージキャラクターです

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

訪問者数

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

ページトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。